源頼朝の湯坂路と徳川家康の箱根旧街道

源頼朝の湯坂路と徳川家康の箱根旧街道|THE OLD HAKONE ROAD CLIMB & LAKE ASHI 130km

鵠沼海岸発着定期サイクリングツアー。

太平洋岸自転車道のオーシャンビュー。

ご存じ、激坂箱根旧街道ヒルクライム。

箱根関所と芦ノ湖レイクサイド。

 

箱根駅伝ゴール地点からスタートする椿ライン・大観山ラインヒルクライム。

湯河原へ一気にダウンヒルし、湯河原から小田原までのアップダウンエリアで再びオーシャンビューをあじわえるトレーニング系ロングライド130km。

 

先日開催したツアー記録です。

安全走行にご協力くださり、ありがとうございます。

 

源頼朝の湯坂路と徳川家康の箱根旧街道

箱根旧街道ヒルクライム

箱根旧道(はこねきゅうどう)・箱根旧街道は神奈川県足柄下郡箱根町にある神奈川県道732号湯本元箱根線

箱根旧道ヒルクライムは東側、三枚橋交差点から登るルートがメジャーです。

 

私が製作している下記のサイト、箱根旧街道の概要です。

https://biketraverse.jp/cols-14-14-hakonekyudo-line/

 

「箱根の山は天下の険」

三枚橋交差点を過ぎ、コンビニあたりから徐々に勾配がきつくなる「箱根旧街道」ヒルクライム。

箱根旧街道一里塚までの区間、箱根旧道七曲り、箱根旧道猿すべりなど、激坂区間めじろおし。

前半は一部平坦路、下り基調も含む約10km、平均勾配7%ほど。

 

東海道の箱根口交差点からスタートすれば、三枚橋交差点まで約5km100mほど上昇量プラス。

小田原発着の東海道、箱根旧街道ヒルクライムもしっかり運動量がありトレーニングにいいですよね。

 

江戸主要五街道のひとつ、東海道

箱根旧街道は江戸時代に整備された五街道のうちの一部。

江戸の日本橋から、京の三条大橋まで。

総距離は約500km。

 

江戸時代に東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道の順に整備されたようです。

「五街道」をまとめてみます。

 

東海道(東海道五十三次)

江戸・日本橋から品川、川崎、藤沢、小田原、箱根、三島、浜松、岡崎、四日市、草津を経て京都・三条大橋までの五十三次(約500 km)。

 

日光街道(日光道中)

江戸・日本橋から千住、草加、幸手、古河、小山、宇都宮、徳次郎、大沢を経て、日光・日光坊中(日光東照宮)までの二十一次。

 

奥州街道(奥州道中)

江戸・日本橋から千住、草加、幸手、古河、小山、宇都宮(日光街道重複)、氏家、大田原、芦野、白河(白河小峰城下)までの二十七次。

 

白河以北には函館(箱館宿・蝦夷地)まで至る、延長部あり。

 

中山道(中山道六十九次)

江戸・日本橋から板橋、高崎、軽井沢、下諏訪、妻籠、関ヶ原草津までの六十七次と、

草津から大津を加え、京都までの六十九次。

 

中仙道とも表記。木曽街道、木曽路。

 

甲州街道(甲州道中)

江戸・日本橋から内藤新宿、下高井戸 府中宿八王子、 吉野上野原大月勝沼甲府柳町韮崎金沢下諏訪で中山道に合流する四十三次。

 

1601年徳川家康が全国支配のため江戸から各地拠点を結ぶ五つの街道を軍用道として整備しはじめ、二代将軍秀忠が主要道、基幹街道に定めたとされています。

 

政治的・軍事的に重要なこの五街道を幕府の直轄とし一里(約4km)ごとに「一里塚」を築き、主要な場所に関所を設けました。街道沿いには通行する者を日差しから守るため、並木を植えるよう命じたともされています。

 

のちの幕末期に来日したイギリスの外交官、初代駐日公使ラザフォード・オールコックは、この整備状況と技術の高さをヨーロッパの主要道路と比較し、価値のある事業だったと評価しています。

 

箱根旧街道のさらに旧街道「湯坂路」とは

江戸時代以前は、箱根を越える場合、現在の箱根八里ルートではなく、「湯坂路(ゆさかじ)・鎌倉古道」と呼ばれる尾根・稜線づたいの道が使われていたようです。

 

鎌倉将軍の二所詣(伊豆山権現・箱根権現=いまの伊豆山神社と箱根神社)、室町時代から安土桃山時代まで多数の旅人が往来する箱根山越え主要道として周辺の茶屋や宿屋も賑わいをみせていました。

 

湯坂路・鎌倉古道は、いまも登山ルートとして人気です。

東からのルート入口は、国道1号線三枚橋交差点を左折せず直進、箱根湯本駅を通過。

旭橋をわたり温泉宿の駐車場を過ぎてすぐのところにある「湯坂路(鎌倉古道)」標識のあるハイキングコース入口です。(西側から入るルートは、現在の阿字ケ池弁財天近くの国道1号のカーブ付近)

ここから、尾根づたいに西へすすみます。

湯坂城(跡)、浅間山、鷹巣城(跡)、元箱根、芦ノ湖へ抜け南下。

箱根関所、箱根峠を越え、三島へ抜けるルート。眺望もよく尾根、稜線を歩くのが登山的には一般的な地形です。

 

一方、箱根旧街道(徒歩ルート)は三枚橋交差点を左折し「須雲川」沿い。

登山やハイキングをする方ならわかると思いますが、沢や谷に近いルートは危険ですよね。

沢に向かうルートは基本的に「くだり」かつ、急勾配も多いです。

水は低い地形に流れますからね。

まよいこんでしまうと、下ってきた道をもどろうとしても、急勾配の登攀。

遭難の危険性がたかくなりますね。

 

江戸時代(1603年 – 1868年)に入り1604年、徳川幕府の命により箱根越えルートは湯坂路から、「箱根八里・箱根旧街道」ルートに大きく変更されます。

稜線で眺望もよく、旅の好条件をすでにそなえた湯坂路があるにもかかわらず、です。

あえて条件のわるい谷沿い、川沿いルートに変更されたのは、なにか理由があるはず。

なぜ、徳川幕府は変更したんでしょう?

 

 

小田原から三島までの最短ルートを結んだという説もあるようです。

ただ、わたくしなりに等高線のある登山地図、アプリで地図読みしてみましたが、湯坂路ルートからあえて危険な沢沿い箱根旧街道ルートに変更しても「時間短縮」とは考えにくいんです。

高低差もふくめ、どう考えても「鎌倉古道・湯坂路ルート」のほうが歩きやすそうなんですよね。

 

箱根旧街道をヒルクライムしていると、歩行ルートが何度かよこぎっています。

ハイキングのかたもいらっしゃいますよね。

激坂ヒルクライム中につき、息もたえだえあいさつするんですけども。

石畳、あきらかに急勾配つづき。徒歩組も大変そうです。

(応援してくれることが多いですね、嬉しい)

 

この、鎌倉古道から箱根八里ルート変更。

一説には、徳川幕府が江戸防衛のために設置した箱根関所(1619年建設)、その他主要道の整備にあわせ、箱根エリア一帯を江戸防衛の観点から「あえて険しいルートに変更した」とも考えられています。

 

そうおもうと、この箱根旧街道ヒルクライム。

当時の旅人の「箱根越え」している姿を想像しながらわれわれものぼれば、あの激坂。

すこしは楽しめるのかもしれません。

(本当にシンドイですけどね)

 

 

THE OLD HAKONE ROAD CLIMB & LAKE ASHI 130kmツアーのようす

 


その他の写真はInstagramから

 

ツアー参加リクエスト:THE OLD HAKONE ROAD CLIMB & LAKE ASHI 130km

当ガイドによる箱根旧街道ヒルクライム、大観山サイクリングツアーにご参加希望の方はツアーカレンダーから日程をご確認ください。

2名以上で参加希望のかたは、カレンダーの日程にかかわらず貸切プラーベートツアーにエントリーいただけます。

ご参加お待ちしております!

 

https://www.athletearchitect.net/130km/

 

ツアー参加リクエスト:サブスクリプション会員

平日、土日祝祭日ふくめ月間20ほど開催する定期ツアーにエントリーしほうだいのサイクリンググラブ。

ご登録はセキュリティあんしんのSquare決済のみ(Square PAY)。

ご登録完了後、クラブ会員様は無料でツアーにご参加いただけます。

 

新規入会ご希望のかたは、30日間おためし期間あり。

詳細は、下記ページをご覧ください。

 

お申し込みはページ内のオレンジ色のバナーから。

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